30代になった社会福祉士・しげKickのブログ

昭和60年生まれ社会福祉士のしげkickです。福祉や医療関係、その他ゆるく書いていきます。

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看取り介護をしたら、医者の指示待ちだった自分に気づいてすごく泣いた話

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お泊りデイサービスでも看取る時代

 

最近、高齢者介護施設で看取り介護サービスが広まる中、

わたしの勤めるお泊りデイサービスでも看取りを行っています。

 

一年前に、末期の大腸がんを患う60歳の女性が

わたしの施設に入所しました。

 

知的障害をもっており、

小学生低学年のような無邪気さがあって、

とても明るい方でしたが、今年の7月に看取りました。

 

その看取りで、 とても大変だったのは医者との連携でした。

 

週一回、医者が施設に来て、患者の様子をうかがい、

わたしの職場スタッフと相談しながら今後のケアを決めていましたが、

正直うまくかみ合っていなかったことがありました。

 

そして、わたしもこの看取りで、

医者の指示待ち人間になっていたとすごく後悔しました。

 

今回はそんなことを書いていきます。

 

医者の指示待ち人間になっていた自分

 

医者は患者の苦しみ・痛みよりも、診察や検査をして、

その苦しみの原因となっている「体の異常」を見つけようとします。

 

決して患者が抱える苦痛そのものに目をむけることはありません。

彼らが信用するのは客観的なデータです・・・

 

体温や血圧、脈拍、 食事・水分摂取量、サチュレーション(SpO2)

血液採取、レントゲンやMRIなどのデータをもとに、

「体の異常」を見つけて治療をします。

治療がうまくいけば、

結果的に患者の希望通りに苦痛が消えることもあります。

 

しかし、患者には病気からくる痛みとは別に、

病気への不安や恐怖などからくる「心の苦痛」もあります。

だから、医者はそこに気づけずに

見当違いな治療になっていたこともありました。

 

その「心の苦痛」って、ずっと近くにいる

介護職が一番気づくことができるし、本来は介護職員が

率先してその気持ちを医者に伝えないといけません。

 

しかし、 「心の苦痛」って、相手の表情をみて直観的に感じるもので、

データにすることができないため、医者に伝えることが難しいです。

 

わたしは患者の「心の苦痛」を分かっていましたが、

面倒に感じて、医者に伝えようとしませんでした。

 

また、相手は知的障害があり、痛みを言葉でうまく表現できなかったので、

明らかに利用者の希望とマッチしない治療がよくみられましたが、

わたしは見てみぬふりをしました。

 

そこには「わたしだけが患者の気持ちを分かっているという優越感」

「わたしは責任者ではないので、医者に任せればいいや」と

いう邪な気持ちがありました。

 

でも、なによりも伝える「勇気」がなかったから、その方が楽だから、

医者の指示に従うことを選んだと強く思います。

 

アドボケイターとしての自覚

彼女は知的障害があっても、

この治療は受けたくないという意思はありました。

 

特に胸の痛みをとるために鼻からチューブを入れる

ことには首を横に振って、「入れたくない」と強く示していました。

 

何度も医者は「痛みが和らぐから」と話しかけて、鼻からチューブを入れようと

試みますが、彼女の意思は強くて入れることはできませんでした。

 

しかし、次第に彼女は衰弱して、抵抗もできなくなり、

とうとう鼻からのチューブを入れらてしまいましたが、

その数時間後、彼女は急な熱を出して、亡くなってしまいました。

 

わたしは彼女が嫌がっているのに、

胸の痛みを軽減するためにカテーテルを挿入されたところを見た時は

すごくつらかったです。

 

その時に「彼女はチューブを入れてほしくない」 と医者に伝えれば

よかったかもしれません。でも、面倒に感じて伝えませんでした。

 

結局、彼女の意思が反映されないまま、

看取る結果になってしまいました。

 

亡くなった彼女の顔を見た途端、彼女の想いを

知っていたのに、そのまま見てみぬふりをした自分が

許せなくなり、急に涙が溢れてきました。

 

そして、魂に響くように彼女に向って「本当にごめんなさい」と言いました。

 

もう二度と「相手の気持ちを見てみぬふりをする」ことをしないと

強く心に決めました。

 

<追記>

改めて、この記事を読み、彼女の死を振り替えてみると、

わたしが「ごめんなさい」と言った事は、

介護のプロして良くなかったと思いました。

 

本当は、彼女の闘病を通して、いろんなことを教えてくれたことに

「ありがとう」と感謝するべきだったと反省しています。

 

相手への感謝の気持ちを忘れないように、

介護のプロとして、またアドボケイターとしての自覚をもって

福祉の仕事に向き合っていくことが、大切だと気づくことができました。

  

さいごに

 

看取り介護は、介護する側にとって

「患者に何かあったら、どうしよう」と不安に思いがちです。

 

そして、その不安は医者への依存を引き起こします。

 

確かに、患者に何かあったら、医者におまかせした方が楽です。

 

でも、看取りって、自分にある「死」への不安や恐怖と向き合わないと、

いつまでも医者に従うだけの人になってしまいます。

 

自分の不安や恐怖を乗り越えることで、

医者との連携ができ、適切なケアに繋げることができます。

 

とりあえず、患者に何があっても恐れずに対応できる勇気が大切だと、

彼女の死を看て強く感じました。