今回は仕事で偶然出くわした景色に
「芸術」を感じた話について話していきます。
わたしは高齢者デイサービスで働いており、
帰りの送迎時、車を走らせていく中、
濃い霧に夕日が差込む風景を見ました。
濃い霧によって、輪郭がぼやけた夕焼けは
まるで横山大観の水墨画に入り込んだみたいでした。
横山大観とは
横山大観とは1868年に生まれた日本画家です。
西洋画の画法を日本画に取り入れた画家であり、
輪郭を明確に描かない手法「朦朧体」(もうろうたい)
で知られています。
【イベント】横山大観の作品や資料や愛蔵品などを公開する「横山大観記念館 史跡・名勝指定記念展」。計140点ほどが紹介され、全長26mにもおよぶ大作の「四時山水」全ても10年振りに展示される。https://t.co/EeIbDLFdN8 #アート #横山大観 pic.twitter.com/TPejpPJg81
— MdN Design Interactive (@mdn_net) March 6, 2019
島根にある足立美術館で、
横山大観の作品をみたことがありますが、
輪郭がない技法により、霧や雲などの表現が
非常にリアルでした。
大観の技法「朦朧体」から感じたこと
わたしがたまたま出会った夕日の光景が、
以前見た横山大観の絵と重なりました。
広がる霧によって、木や建物の輪郭があいまいになり
融合する様は、強く心が揺さぶられました。
その光景から「自由」というか、
ありのままに受け入れる「受容」のような
開放感を感じたんですね。
一方、私たちの社会は「白と黒」で区別され、
曖昧なものを排除してすっきりさせる方へ突き進んでいます。
現在の日韓関係やヘイトスピーチでも、
正義と悪の境界線を引くことで、
自分たちの「正義」を主張するために、悪を叩き
排除しようとする人たちが目立っています。
やっぱり、境界線を引いた方が物事がはっきりするから、
考える必要がなくて、楽なんですよね。
しかし、偶然出くわした夕日の景色から、
「境界線はない」という大切さに気付くことができました。
さいごに
そういえば、横山大観が「朦朧体」という技法を用いた時は、
輪郭を持つ絵が主流だったので、
当時、大観は多くのバッシングを受けていたようです。
輪郭を持たない絵は、ぼやけて分かりにくいですし、
当時の人々にとっては気持ち悪く感じたのでしょうね。
でも、その大観を批判した状況は
今の社会とリンクするような感じがあります。
その曖昧さを受け入れられる寛容さが
求められている気がします。